バウルーの歴史

ブラジルからBoa tarde!

バウルー。この不思議な響きの調理器具が日本で発売され約40年。その道のりについて、製造元の田巻金属株式会社、発売元のイタリア商事株式会社にお話をうかがいました。

作り方はごくごく簡単。食パンにバターを塗り、好きな具を挟んでガス台に乗せ、片面2分ずつ焼けば、外はカリッと中はふっくら。トーストサンドとは似て非なる、直火で焼き上げるホットサンドイッチメーカー・バウルーが発売になり、日本の台所に幸せの香りが広がったのは1970年代のこと。

焼いた人も、食べた人をもとりこにするこのバウルー、そのルーツは、なんとブラジルサンパウロ州バウルー村(現在はバウルー市)にあります。バウルーの取扱説明書を見ると、その昔、バウルー村出身の青年が、大学時代に暮らしていた学生寮で使っていたものが広まって、現在の形になった…とのこと。

それがいつ発明されたのかは定かではありませんが、バウルー発売当時のブラジル事情について、「70年代、サンパウロ空港に併設されたカフェには、既にバウルーというメニューが掲示されていましたね」と、販売元であるイタリア商事の清水会長はいいます。つまり、約40年前には、バウルー=ホットサンドを意味するほど、市民権を得た食べものだったようです。


「パンがおいしく生まれかわる」のキャッチフレーズで売り出したバウルー。発売元のイタリア商事株式会社(以下「イタリア商事」と略)が所蔵している中で、最も古いモデルのパッケージがこちらです。

しかし、ブラジルからいったいどうして調理器具が日本に伝播してきたのでしょうか?

それは、ある日本人男性が、ブラジルを旅した際にこのパン焼き機を見つけ、日本に持ち帰ったことに始まります。そのお土産を手にしたのが、後にバウルー株式会社を立ち上げる渡辺万三男さん。そのユニークさに着目した渡辺さんは、日本で作って売り出そうと、金型製作に着手するのです。

ブラジル最大のメガシティ・サンパウロより北西約350㎞に位置するバウルー市は、鉄道・車道の分岐点となる交通網の要所。主要言語はポルトガル語で、日本では天理市が姉妹都市になっています。